教皇フランシスコの悲報




2020年、私の作品、”一粒の麦”が光栄なことに東京大司教館に収められた。

教皇フランシスコが来日の際、宿泊される施設と聞き、身に余る思いだった。


私はいろいろな経緯をたどって、自然治療で体を治してきたため、実はクリスチャンではなく自然を崇拝している。


けれど私はいつも自分の中にキリストの精神性を持とうと努めている。


それは父の死とフランシスコとの出会いが

きっかけだった。


彼が説いてきた事は、宗教の持つ一番根底にある”愛”だと私は思っている。


異なる宗教、異なる人種、異なる性別すべてにはびこるヘイトに対して彼が注いできた努力は本当に素晴らしいものだ。

彼は人間の犯してきた歴史的な過ち、カトリックの過ちですら謝罪をし、この混沌とした世界を変えていくために最善を尽くしてきた歴史的なリーダーだった。


彼は最後まで、彼らしく、墓は簡素なものとし、特別な装飾を施さず、フランシスコとのみ刻むと遺言に残した。


私は彼の行動を決して忘れない。


そして私たちは今のこの波乱に満ち満ちる世界情勢を少しでも変えていけるように、

たとえそれが微力なものであっても、

それぞれが努力し続けることを忘れてはならない。

私の中に彼はずっと生き続ける、

一粒の麦のように…


作品”一粒の麦”が教皇フランシスコの意思を受け継がれる司教様たちの希望の麦とならんことをお祈りします。



一粒の麦、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。

だが、死ねば、多くの実を結ぶ。