CHAMPBOULLANT

湧き立つ感覚、染まる記憶 2025
Monk’s Dream
(ジャズピアニスト、セロニアスモンクのピアノから受けた感覚)
都内有名アーティスト音楽スタジオ
Chateau Mouton Rothschild 1990 
En hommage a Francis Bacon
フランシス・ベーコンへのオマージュ
Well-Tempered Clavier played by Glenn Gould no.2
グレン・グールドの平均律クラヴィーアno.2
Well-Tempered Clavier played by Glenn Gould no.1
グレン・グールドの平均律クラヴィーアno.1



自然治療で生まれ変わった私の五感は、 
ある時は痛々しく私の全身を貫き 
ある時は全てを超越する。   

きっかけは主治医から大晦日に出たワインの許可。自然治療で鋭敏になりすぎた私の五感に初めてワインが注ぎ込まれた。
その時の感覚は永遠に忘れる事はないだろう。   

子供の頃、ワイン愛好家だった父から飲まされたヴィンテージワイン、 
王様のようなグラスに注がれた透き通るようなルビー色が今でも目に焼きついている。 
味、香り、その時の父の嬉しそうな表情とご機嫌な笑い声、テーブルに並べられた料理…全てが蘇った。  

ワインが私の体を駆け巡った後、私は自分の心が解放されていくのがわかり、今まで自分に欠けていたピースがようやく揃ったような感覚になった。  
9年間の治療で得た鋭敏な感覚は、私に数々の喜びをもたらしたが、時に辛く恐ろしくもあった。
自然治療で得た感覚、それはいわば動物に近く、五感だけではなく第六感のような何かを予感するものでさえあるのだから。

けれど私はワインという美しいミューズと再び出会い、それらすべての感覚を、時に私を押し潰そうとするものさえも、 
美に変えるために筆を取る決心をした。  

シャンボランというタイトルはシャンボールミュジニーというワインからとった。  
このシャンボールとは、この地のよく氾濫する川を喩えて「沸騰する水」の意味を持つ“Champboullant” に由来する。

例えばワインを飲んだとき五感全てに広がる感覚、その瞬間を絵の具を水に誘導させながら描く。  
ほとんど私の力ではなく、これらの形は水によって描かれていく。  
作家が絵の具を置く(刺激)することで水を伝い色彩(感覚)が広がってゆく…  

感覚とは留めることができず、一瞬のものであり、私たちはこれに対し受け身となる。  
私の向き合ってきた自然治療、自然に自分自身を合わせてきたように、絵画も水の流れに(自然に)全てを任せる。  

十数年前、身も心も苦しくてたまらなかった絵画が今、私にとって瞑想と化した瞬間だ。

  



six sense

a sacred force that reflects all and reveals what lies beneath.

-水は全てを映し出す、露顕させる 神聖な存在



第六感を描くにあたり私が最も大切にしているのは水の流れに身を任せることである。


その瞬間を留めることはメディウムや様々な画材を使うことにより可能となるかもしれないが、

それは私の哲学に反する。


そもそもこのCHAMPBOULLANTは私にとって水と自分自身をいかに調和させるかという行為であり、

描く過程にとても意味があるからだ。


今まで私が描いてきた絵画は、最後の目的地を完全に想像した上で、それに向けて描写を積み重ねていくが、

CHAMPBOULLANTは完成予想図というものがないに等しい。


例えば、私の霊感が最も冴える霊山に身を委ねた後、その感覚を持ち帰り、

ほとんど瞑想状態の中から、水に絵の具を溶かして描いていく。


自分自身がクリアなほど水と絵の具は調和し合い、一瞬のうちにその気が画に映し出される。


けれど反対に自分自身が鈍く荒んでいれば、一瞬にして画は薄汚れてしまう。


画に映し出されたときに初めて自分自身のその日の状態を知る時もある。

画に映し出された時、初めてその形に気がつくこともある。


もちろん強烈な感覚を持ち帰って、それを描くこともあれば、

描かれた形を見て、自分の潜在意識の中にある形、以前の経験を見つけ出すこともある。


自然を崇拝する私にとって、

水は全てを映し出す、(露顕させる)神聖な存在。

水(自然)に全てを委ねること、それが私の経験から生み出されたオリジナリティである。