冬のときを越えて


つい最近、オペラ歌手の親友にオテロのアヴェ・マリアを来年の個展にぜひ歌ってほしいと依頼した。

彼女はようやく自分の声がこの曲に合ってきているから挑戦しようと思っていたところだと言った。

私は彼女のような実力がある人がなぜこんなこと言うのかと不思議だったので、電話で尋ねた。

すると彼女はこの内容を歌うには若すぎれば説得力がない。と言った。

つまりようやくと言うのは、苦難の経験なしには歌えない歌、冬を知らずに春を(また赦しを)歌うことはできないということだった。


大学の頃から彼女を知っているけれど、彼女は恵まれた境遇の中で音楽をやってきたわけではない。

経済的に困難だったため、朝から晩まで働き、いつも四苦八苦していた。

けれど愛する音楽のために自分を信じ、誰に頼ることもなくここまで進んできた。


この間の個展の時、彼女の声は私が最後に聴いた歌声、20代の頃とは明らかに違っていた。

もともと才能はある人だったけれど、ここまでの芸術家になっていたとはと驚きを隠せなかった。

それこそ声が深く説得力があり、まさにその声は彼女自身であり、力強く美しかった。


苦難は誰にとってもあっては欲しくないもの。

けれどそれは神が与えた愛であること、

最初は信じがたくても、何度も何度も超えていくうちにやはりそう思わざるを得ない。


もし彼女の家が裕福で全てが彼女の思うがままに進んでいたら、今の彼女の歌声は無いのだから。