原点回帰


写真は西洋絵画と比すれば省略の表現によって外界の対象を象徴化する特徴を秘めています。

写真家の津田さんとの文通で印象に残った言葉、私がやろうとすることを写真から感じとりいつも言葉にしてくれます。

象徴化は今まで私がやってきたテーブルの上での小宇宙、(室内では私自身が光と影を操ることができるので)
お日様と相談しながら自らの世界を作り出すことが可能であったが、外界の無限の世界を相手にする場合は話は別となってくる。
そこで必要になってきた事は道具を巧みに操ること、すなわちカメラ。
外の世界は自分では配置、構成することはできないし、ライティングも思い通りにはならない、となると表現としての象徴化は道具の使い道も大きな鍵となっているわけだ。
そこで私はカメラとまた向き合うことになった。
絵画を描く時も同じで、ある程度のことができるようになったときもう一度道具を見直してみる。
するとやはり最初の時とは違い、また1つ違う目線を持った状態から物事が見えてきて、道具次第でもっともっと自分の理想に近づけることを確認する。
けれど陥ってはいけないのは道具やテクノロジーに頼りすぎて本質を見失うことだと私は感じる。

例えば巧みな技術力と素晴らしい道具があれば名画ができるとは私は思わない。
それこそそれは現象のようなものでそこに真理がなければそれは単なる表面的なもの。
画が出来上がるにはきっと人知を超えた何かが含まれてくると思う。

この無限の世界では人間、自分自身はちっぽけで、何より大切な事は自然と呼応すること、尊重すること、撮らせていただく、その意識を持ち続けることだと私は思う。
それにより自然界が自分に味方し、何かの偶然が重なり絵ができていく、私が理想としていくかたちはそれだと考える。(これは私の尊敬する主治医が長年にわたり教えてくれたこと。)

でもまずは理想を語るより、その理想に近づくため原点に戻り、カメラの基本、応用、また彫刻的、絵画的、写真的解釈、すべて吸収し、見直し、もう一度今までやってきた課題をこなしていこうと思う。

原点回帰、モノクロームの花はまた新たなる気持ちで...